アラサーしんりしの日常

主にあたまの中の整理をしています

統合失調症の歴史を追う

皆さんこんばんは。

見事に三日坊主です…笑

三が日は丸々ブログに時間を費やせたのでネタ集め~執筆まで1日でできましたが、仕事しながらだとそううまくいきませんでした。

マイペースに続けます。よろしくお願いいたします。

 

今回は、興味本位で統合失調症の歴史を調べたのでちょいとまとめてみました。

 

統合失調症とは?

精神疾患の1つである統合失調症

人は何かを考えるとき、感じるとき、行動するときにある目的に沿ってそれらをまとめていきます。例えば、「オムライスを作ろう」と考えたら、「卵はあるかな。ごはんは炊いてあるからOK。ふわとろにしようか、それとも固めに焼こうか。ソースは何にしよう。」などいろいろ考えて、実際に行動に移しますよね(ちなみに私はふわとろ×シーザードレッシングが好きです。気になる方はぜひお試しあれ!)。

統合失調症は、こういった思考、感情、行動がまとまりづらくなる特徴を持っています。その経過の中で、幻覚や妄想などの症状が現れます。

ちなみにこの症状、実は統合失調症でだけ認められるものではないんです。

例えば、仕事や勉強をものすごく頑張った結果ひどく疲れてしまったときのことを振り返ってみると「いつもの自分ならこういう考え方/行動はしないのに」と思うような言動をとっていることがあります。それは、疲労感やストレスといった要因によっていつも通りのパフォーマンスを発揮できない(=まとめる力が低下している)とも言えるんですね。

統合失調症の場合は、そのまとまりづらさが長期的に続くことが診断基準として挙げられています。

 

診断基準や各症状、治療方法などは書き始めると長くなってしまう(ただ私がキャパオーバーになる)のでまた別の機会に。

 

統合失調症疾患概念の歴史

現在の見解では、早期発見・早期治療によって比較的軽症化しており、回復する患者さんの割合が増えている統合失調症

昔の治療概念は今のような考え方ではなく、統合失調症を患った本人やその家族は苦しい立場にならざるを得なかったと想像します。現代に精神科に勤めている身としては、この歴史は目をつぶりたくなりますが、決して忘れてはいけないものだと思います。

 

統合失調症はもともと「早発性痴呆」という名称で登場しました。

1890年代、ドイツの医師であるクレペリン先生がいくつかの精神疾患の概念をまとめたんですね。そこで早発性痴呆(統合失調症)や躁うつ病双極性障害うつ病)はそれぞれ独立した疾患概念だよ、ということが示されました。

ちなみに早発性痴呆を要約すると、①原因不明で、②青年期に多く発症し、③不断に進行性のもので、④最終的には人格荒廃に至る、という特徴を持っているとまとめられていたんだとか。めちゃくちゃインパクト大きいですよね。

それに対して有効な治療法は当時確立されていませんでした。今のように服薬などの治療を受けることで症状が改善する事実がなかったため、早発性痴呆は良くならない(予後不良)と考えられることもありました。

 

1900年代に入り、スイスのブロイラー先生は当時の早発性痴呆について別の視点から整理しました。そこで早発性痴呆は1つの疾患概念ではなくある種のグループ(症候群)であると提唱したんですね。また、その症状として、連合弛緩(考えにまとまりがなくなること)、両価性(相反する感情が同時に存在する)、自閉(周囲との関わらず殻にこもる)、感情の硬化(感情の表現が乏しくなる)といったものを挙げました。その中でも連合弛緩に再注目したことから、「早発性痴呆」という名称は廃止され、「スキゾフレニア(心が分裂する:精神分裂病)」に変更されました。

 

ブロイラー先生の後にも多くの方がその疾患概念を整理したようです。その中でも今の統合失調症概念に繋がっているのが、ヤスパース先生、シュナイダー先生ですね。

ヤスパースは「了解」の概念を提唱しました。話の繋がりが理解できるもの(了解可能)、繋がりが見えないもの(了解不可能)という考え方で、了解不可能な場合には何らかの病的過程によるもの、すなわちスキゾフレニア(統合失調症)はこの病的過程によって思考や行動が繋がっていない了解不可能な状態にあるというわけですね。

また、シュナイダーはその症状を心理学的な視点からさらに観察し、「一級症状」と呼ばれる概念を提唱しました。

(先ほども書きましたが、症状についてはまた別の機会にまとめますね)

 

このように多くの医師、学者の皆さんの尽力によって現在の統合失調症の疾患概念や治療法に行き着いたわけです。

 

日本医療と統合失調症

ちなみに、日本では1900年に精神病者監護法が出されました。

概要としては、都道府県知事がOKを出せば責任者(主に患者さんのご家族)が精神疾患を持っている方を自宅などに閉じ込められるという法律です。その結果、患者さんが十分な医療を受けられない、責任者である家族の負担も大きい状況が作られたようです。

その後1919年に精神病院法が出されて各都道府県に精神病院を設置できるようになったものの、うまく普及しませんでした。

1950年になって、精神衛生法が制定されると同時に精神病者監護法や精神病院法は廃止されました。それにより、患者さんを閉じ込めておいてはいけない、精神病院の設置義務化といった動きがありました。同時期には入院制度に関するルールも定められました。

1955年頃からは薬物療法も導入され、精神疾患が改善しやすくなりました。一方、精神科の長期入院という課題が生まれたのもこの頃でした。

1964年には精神疾患を抱えた少年がアメリカ駐日大使のライシャワー氏を襲撃する事件(ライシャワー事件)があり、日本の精神医療の在り方が問題視されるようになりました。その後、1965年に精神衛生法が改正されています。

また、1984年に入院中の患者さんが看護職員から暴行を受ける事件(宇都宮病院事件)が勃発したことから、1987年には精神保健法が制定され、精神疾患を持つ方々への人権擁護及び社会復帰促進が主張されました。

それ以降も、障害者基本法精神保健及び精神障害者福祉に関する法律が成立、また改正を重ねてきました。

紆余曲折あって、少しずつ安心して治療を受けられる体制が整ってきたんですね。

 

精神分裂病から統合失調症

ところで、「統合失調症」という名称にはいつ切り替わったのでしょうか。

遡ること1993年、日本の家族会が日本精神神経学会へ「精神分裂病」の名称変更を訴えました。当時はやはり人格否定の観点や本人への告げにくさから、家族をはじめとする関係者の中には引っ掛かりがあったようです。確かに「精神が分裂する病」という文字の並びはショッキングですよね…

その後、日本精神神経学会は「当事者に不利益をもたらさない」訳語(名称)にするという原則を掲げたうえで、多くの調査やシンポジウムを重ねました。そこで実際に「精神分裂病」という名称自体が罹患した個人の社会参加を阻んでいる可能性について触れ、その疾患概念の見直しを行いました。過程が多かった分時間はかかりましたが、2002年8月に正式に「統合失調症」という名称に決定しました。

 

おわりに

今回は統合失調症の歴史から日本での名称変更までを大雑把にまとめました。すっ飛ばしてしまっている部分は沢山ありますが、理解が間違っている場合はご指摘お願いします。

 

精神医学の歴史には、その時代背景や社会との摩擦で苦しめられた人が多くいます。その事実を忘れず、心理職の立場からサポートしていこうと改めて思いました。

 

【参考・引用資料】

テーマ1: 統合失調症とは何か|公益社団法人 日本精神神経学会

馬場存(2008)統合失調症-概説とその音楽療法ー(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmm/1/1/1_1_13/_pdf/-char/ja

精神保健福祉の歴史 | 高知県庁ホームページ